五月雨 (2)
茂りあふわか葉にくらき迷ひかなみるべきものを空の月かげ 意味の存する處何方ぞや茫として闇きわか葉のかげいとゞ迷ひは茂り合ふばかり晴るゝよし無き空の月の心々に判じて見れど何れ眞意と得ぞわき難く喜こぶべきか歎くべきかお八重はお八重優子は優子斯く云はれなば斯くせんの決心互に堅けれど思ひの外なる返しには何と定めて何とせん未練は流石ありそ海のおきて見つ叉取りて見つながめに飽かねど吐息されて八重はマア何と思ふぞと人の詞を待ちて見るあな覺束なの三十一文字や (さゝや「くちへん」に「耳」の旁) 六 怪しや三郎の便りふつと聞えず成りぬ待つには一日も侘しきを不審しかりし返事の後今日や來給ふ明日こそはと空だのめなる日を重ねて十日半月さて廿日憂き身につらき卯月も過たり五月雨ごろのしめり勝に軒の忍艸は我が類ひの引きては葺かねど池のあやめの根ながき思ひにかき暮らされて袖にも水かさの増さりやすらん此處は別荘の人氣も少くなく氣に入りの八重を置ては別荘守りの夫婦のみなれど最愛の娘病氣との事なり本宅よりの使ひ絶ま無ければ事によそへて杉原のこと問はするに本宅にも此頃さらに参り給はずといふ左るにても何とし給ひしにや我心をさなくて卒爾に文など参らせたるを如何に厭はしと思しながら返しせざらんも情なしとて彼れよりは夫となく御出のなきか此頃のお哥の心は如何に茂るわか葉の今こそは闇らけれど時節を待たば空の月の逢みるべきぞとならば嬉しけれど若しやの願ひに左様見ゆるにや寧そ愁らからば一筋ならで頼みのある丈まどはるゝなり扨もお便りの聞えぬは何故我れ厭はせ給ひなば此處へこそ御入來なく共本宅へまで御疎遠とは不審しゝ夫ほどまでに御嫌ひになるほどなら優しげな御詞なぜ仰せおかれけん八重が思ふも恥かしきまで彼の時は嬉しかりしを此まゝに見返りもし給はずは今さら面ても向けがたし悲しき事よと娘氣に頼みをかけて見つ叉ときつ思案にもつるゝ撚絲の八重が歎きは又異なり茂る若葉の妨げと仰せられしは我が事ならずや闇き迷ひを歎じ給へど夫れ悟りたればこその御取持ちなれ思ひ合ふ中のお兩方に我が生涯の望みも頼みも御譲り申して思ひ置くこと些少なきを何はゞかりての御遠慮ぞや身を觀ずれば御恨みも未練も何もあらずお二タ方さま首尾とゝのひし曉には潔よく斯々して流石は貞操を立るとだけ君さまに知られなば夫を思での我れなるに此身ある故に嬢さまの戀叶はずとせば何とせん身退ぞくは知らぬならねど義理ゆゑ斯くと御存しにならば御情ぶかき御心として人は兎もあれ我よくばと仰せらるゝ物でなし左らでも御弱きお生質なるに如何つきつめた御覺悟をも遊ばすまじき物ならず御最愛のお一人娘とて八重や何分たのむぞと嚴格い大旦那さまさへ我身風情に仰せらるゝは御大事さのあまりなるべし彼につけ是につけ氣づかはしきは彼の人の事よ有りし日の對面の時此處に居給ふとは思ひがけず郷里のことは我れ聞きたり辛苦さこそなるべけれど奉公大切に勉め給へと仰せられしが耳に残りて忘られぬなり彼れほどにお優しからずば是れほどまでにも歎かじと斷ち難き絆つらしとて人見ぬ暇には部屋のうちに伏し沈づみぬ何れ劣らぬ双美人に慕はるゝ身嬉しかるべきを何を厭ふてか三郎かき絶て影も見せず疑念は重なる五月雨のくも、薄らぐべき由もなくて、世をうみ梅實の落る音もそぞろ淋しき日を幾日、をぐらき窓のあけくれに、をち返りなく山時烏のから紅ゐにはふり出でねど、涙に袖の色かはるまで同じ歎きを別に知る主從の思ひさても果敢なし優子はいとゞ世を知らぬ身のお八重が素振り得も察せず氣の毒や我身大事にかけるとて痩せ見ゆるほど心配させし和女の情は忘れぬなり左りながら如何ほど盡くしてくるゝ共なるましき願ひぞとは漸々に斷念たり夫につきて叉別に父様母さまへの御願ひあれど御二タ方なり和女なりに歎きをかくるが愁らきぞとてしみ/\”と物語りつお八重の膝に身をなげ伏して隠くしもやらぬ口説ごとにお八重われを忘れて抱き合ひ詞もなくよゝと泣きしがお前さまに其やうなお覺悟させますほどなら此苦勞はいたしませぬ御入來の無きは不審しけれど無情き御返事といふにもあらぬを早まつてのお考へはお前さまの様にも無し今しばしの御辛抱ぞ其うちには何ともして屹度お喜こばせ申べし八重が一心を憐れとも思しめして其やうな悲しいことお聞かせ遊ばすなとて力を添へぬ優子嬉しく手に手を取りて前の世では何でありしやら兄弟にもなき親切この後とも頼むぞや是よりは別しての事何ごとも汝の異見に随がはん最早今のやうな事云ふまじければ免してよと詫らるゝも勿體なく待てば甘露と申ますぞやと輕るげに云へど義理は重し袖に晴れ間は見えぬ物の限りあればにや今日珍づらしく鳶なきて雨の餘波に軒ばの露に照る日あたらしく玉をみがきて庭の木かげも心地よげなるを籠居てのみ居給ふは御躰にも毒なる物をとお八重さま/\”に誘ひて邊りちかき野の景色田面の庵の侘たるも又をかしかるべし御覧ぜずやとわりなくすゝめて柴の戸めずらしく伴ひ出でぬ人の心のうやむやは知らずや茂る木立すゞしく袖に吹く風むねに欲しゝ植はたす小田の早苗青々として處々に鳴き立つ蛙の聲さま/\”なる彼れも歌かや可笑しとてホヽ笑む主に我れも嬉しく彼方に萱ぶき此の垣根お庭の中に欲しきやうなり彼の花は何ならんと小走りして進み寄りつ一枝手折りて一輪は主一輪は我れかざして見るも機嫌取りなり互の心は得ぞしらず畔道づたひ行返りて遊ぶ共なく暮す日の鳥も寐に歸る夕べの空に行く雲水の僧一人たゝく月下の門は何方ぞ浦山しの身の上やと見送くれば見かへる笠のはづれ兩女ひとしくヲヽとさけ■びぬ (■は「くちへん」に「斗」の旁)

|

速読読書支援ソフト
芥川龍之介の小説をはじめ500冊以上を収録
速読読書支援ソフト
好評発売中
ビジネスパック60
40種類以上のソフト プラス テンプレート etc・・・・・
とにかく凄いボリューム 490MB
6000円
と言う信じられない価格で好評発売中
すっきりデスク 起動補助ソフト(無料)
ショートカットの代わりを果たす優れものです。
これ無しでコンピュータを使えないと言わしめたソフトです。
無料ですので一度使ってみて下さい。
ダウンロードはここ
ソフトは全て Windows版です。
|