収録作品
【1892年】
うもれ木
たま襷
闇櫻
五月雨
別れ霜
經つくえ
【1893年】
暁月夜
琴の音
雪の日
【1894年】
暗夜
花ごもり
大つごもり
【1895年】
うつせみ
たけくらべ
にごりえ
ゆく雲
雨の夜
月の夜
軒もる月
十三夜
【1896年】
あきあはせ
うらむらさき
この子
すゞろごと
わかれ道
われから
反古しらべ
さをのしづく
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総ページ数 3
うもれぎ 樋口一葉 序 一葉女史はおのれと同じ園生にありて萩の舎の露におほし立られし下葉なり萩の舎中嶋の師は常にいにしへぶりのしなたかきを教えさとし給へれど性来のすき心によの耳ちかく俗に今様の情態をうつさばやの心あつく去年より武蔵野に名はあれどにげ水のしこはかとなくかくろひてさのみしる人もなかりしを、今度一部の文として梓にのぼせ、公の評をも乞ひて、猶此後もこれに盡さんの料にせまほしとておのれに其よしはし書してよとこはれぬかゝる方に心ふかうものし給へるを常にしたしむつべる友にしあればことにうれしくてなほつがの木のいやつぎ/\にたゆむなく千枝に八千枝にしげりて木高きかげとなりあまはん事をかつは祝してたゝ一言を 田邊たつ子識 うもれ木 一葉女史 第一回 描き出だすや一穂の筆さきに、五百羅漢十六│善神、空に樓閣をかまへ、思ひを廻廊にめぐらし、三寸の香爐五寸の花瓶に、大和人物漢人物、元禄風の雅なるもあれば、神代様うづたかく、武者の鎧のおどしを工夫し、殿上人に装束の模様を撰らみ、或は帯書きに華麗をつくす花鳥風月、さては楚を極むる高山流水、意の趣く處景色とゝのひて、濃淡よそほひなす彩色の妙、砂子打ちを楽と見る素人目に、あつと驚歎さるゝほど、我れ白身おもしろからず、筆さしおきて屡々なげく斯道の衰頽、あはれ薩摩といへば鰹節さへ幅のきく世に、さりとは地に落ちたり我が錦襴陶器、おもひ起す天保の昔し、苗代川の陶工朴正官、其地に錦様の工みなきを歎じ、歳 十六の少年の身に、奮ひ起す勇氣干万丈、奉行を説き藩廰に請ひ、竪野に二人の教授をむかへて、相傅法受の苦を盡くしつ、猶心膽をねる幾春秋、安政のはじめ田の浦の陶場に、焼着畫窯の良結果を奏するまで、刻苦艱難いくばくぞや、夫れが流れに浴する身の、美術奨勵の今日うまれ合はせながら、此處東京の地にばかり二百に餘る畫工のうち、天晴道の奥を極めて、萬里海外の青眼玉に、日本固有の技藝の妙、見せつけくれんの膓もつものなく、手に筆は取り習らへど、心は小利小欲のかたまり、美とは何ぞ儲け口か、乃至吉原洲崎のちりからたつほう、品川にも又捨てられぬ代物ありと、口三味線の筆拍子に、なぐり書きしての自慢顔、兎角は金の世の中に、優でご坐るの妙で侯のと言ふ處が、結局は仕切り直段の上に有ること、問屋うけの宜き物一致あり難しとは、そも何方より出る詞ぞ、さればこそ賣國の奸商どもに左右されて、叉も直下げ又も直下げと、さらでもの痩せ腕ねぢられながら、無明の夢まだ覺めもせず、是れでは合はぬの割仕事に、時間を厭ひ費用を減じて、十を以て一に更ふる粗畫濫筆、まだ昨日今日繪の具臺に据りて、稽古は居ねふりの白雲頭を、張りこかして手傅はする淵がき腰がきの模様、霞砂子みだれ砂子の亂れ書きに、美といふ字は拭ひさる繪のぐ雑巾の汚れ同様、さりとは雪がれぬ恥ならずや、此儘ならば今十年と指をらぬ間に、今》戸焼の隣りに坐をしめて、荒もの屋の店先に、砂まみれに成らんも知れた物でなし、是れほどのこと氣のつかぬ、痴漢ばかりある筈なけれど、時の勢ひは出水の堤、切れかけたも同じこと、我等ふせぎはとんと不得手、先づは高見で見物が當世ぞと、頬杖つきて宙腰の、ふら/\とせし了簡には自己/\々々が不熱心を、地震雷鳴おなじ並みに心得て、天だ天だと途方途轍もなき八つ當り、的になる天道さま氣の毒なり、然りながら夫れも道理、身は蜻蜒洲幾十万の頭かずに加はりて、竈の烟の立居にまで、かしこき大御心なやませ奉る、辱なき心得もせず、大日本帝國の名譽といふ事、摩みくちやにして掃だめの隅に、投げ出す様な罰しらずが、其處等あたりに珍らしからぬ世の中、憤るほど管なるべし、さりとも我れは我が觀念あり、握り初めたる筆の因果、よし狂といはゞ言へ愚と笑はゞ笑へ、千萬の黄金つんで來るとも換へぬ心を腕にみがきて、輕薄浮佻を才子と呼ぶ明治の代に、愚直の價どれほどのもの、熱心の結果はいかに、斯道の眞は那邊にあるか、よし人目には何とも見よ、我が心満足するほどの物つくり出して、我れ入江籟三變物の名を、陶器歴史に残さんずもの、口惜しや赤貧の身の、空しく志しを抱ひて幾年間、此まゝならば胸中の奇計、何に向つて何時描くべき、恨みは是れぞ是れ骨までの恨みぞと、取りしむる右の腕手首ぶる/\と顫へて煮えよ膓、熱洩のみ込みつゝ悲憤の聲は現はさねど、誰れいふとなく慷慨先生と仇名して、酒席の噂はづれぬ代り、柴のと扣くもの稀/\々なれば、友なく弟子なく女房なく、お蝶とよぶ妹相手にして、此處高輪の如來寺前に、夕顔垣にからみ蚊やり火軒にけふる詫住居、澁團扇に縁のある暮しをなしけり。 第二回 散る木の葉にすら、笑みぞあまると聞く十六七を、貧にくるしめば月も花も皆なみだの種、同じほどの少娘が、流行し帯に新形染の裕衣きて、姿どこやら嫋やかに、能く見ればよくもなき顔だちも、三割とくの白粉ぬりくり、幾度じれたる癖直しの、お蔭にふくらむ鬢付きたぼ付き、天晴れ美人の招牌うつて、摺れ違ひに薫る香水の追風まで、ぱツとせし扮粧の夕詣で、何を願ひぞ、神さま嘸やお困りの連中に、顧みられて我が形はづると無けれど、快よからねば洗ひざらしの裕衣の肩、我れ知らず窄めて小走りするお蝶、並らぶ縁日の小間もの店に目もくれず、そゝぐは一心兄の上ばかり、願ひは富貴でなく榮華でなし、我が形この上の襤褸に、よしや縄の帯しめよとまゝ、我れ生涯に來べき運、あらば兄様の身にゆづりて、腕の光りの世に現はるゝやう、みがく心の満足されるやう、二つには同じ畫工の侮り顔する奴を、兄さまの前に兩手つかせたく、佛壇のお二た方に、お位牌の箔つけて欲しきがそも/\の願ひ、手内職の手巾問屋に納むる足を其まゝ、靈験あらたかなりと人もいふ、白金の清正公に日参の、こむる心を兄には告げねど、聞かば畫筆なげ出して、藝に親切の志、我れまだ其方に及ばずとや言はん、下向はことに家のこと氣に成りて、心も足もいそぐ道の、とある小路に夥しき人だち、喧嘩か物とりか何にもせよ、側杖うたれぬやつと除けて通る、多くの人の袖のしたを、洩れて聞こゆる涙ごゑ、ふつと耳に止まりて我しらず差のぞけば、憐れや五十あまりの老女、貧にも限りのなきものかな、我れに比べて今一倍あさましき有様、むかしは由緒ある人か皺める眉目どこか品もあるを、不憫や是れが商賣の、何焼とかいふ銅の板、うち渡せし小屋臺のかげに頭すりつけて繰りかへす詫ごと、相手は三十計の髭むしやくしやと、見るからが憎く氣な奴、大形の裕衣胸あらはに着て、力足ふみ立てつ耳も聾よと喚き立るは、何れ金が敵の世の中、元來は懇意づくの、生ながらに顔赤め合ひしなかでもあるまじきに、始めは伏し拝みて受たる恩、返へすことの成らぬは心がらならず、此社會に落入りし身の右左不如意にて、約束せしこと束約(約束)のやうにもならねば、我れと恥ぢて心ならぬ留守も遣ひ、果ては言ひ度くなき嘘に、一月を延ばし十五日を過ぐせど、其揚句さて何とも成らず、つまりつまりては烏羽玉のやみの夜、家ぬしの垣の外に兩手合はせて拝みながら、不義理不名譽の欠落もすめり、さても此老女その類ひと覺しく、四邊はづかしくや小聲の言譯、且つは涙ながらの詞とて、首尾全くは聞えぬ物の、取り集めて察すれば、娘にやあらん杖はしらの子、煩ひて居るかの様子、夫れ本復さへなさば又つくべき方もあり、今暫時の間まちて給はれと、あはれ膓しぼり盡くす悲しげな聲、聞くお蝶は涙もろの女の身、ましてや同じ情くみて知らぬ事もなければ、何の人事と聞き過ぎられず、さりとは彼の男の聞譯なさ、百圓のかたに網笠なれど、此屋臺おこせといふ、夫取られては私しと娘今日から喰べる事が成りませぬお慈悲と合す手を、あれ打ちをつた、憎くい奴にくい奴、自分は手前はさして困る様子も無く、大々しい身躰つきの病ひ氣も無ささうなに、あの老人のしかも病人抱へて、困苦さこその察しも無きは鬼か夜叉か、有らば彼の横つら金で張つて、美事老女救つてやり度きもの、夫れ處ではなき身、此財布の底はたけばとて、何に成る物でなし、口惜しや可愛やと、お蝶身もだえする程残念がり、黒山と立つ人じろり眺めて、切めて一人は此中に憐れと見る人ありさうな物と、歎息する一刹那、お蝶の肩さき摺るほどにして、猶豫もなくずつと出し男、何ものと思ふまもなく、獗りたつ鬼男の前、振あぐる手の肘を止めて、輕くふくむ微笑の色、まづ氣を呑まれて衆目のそゝぐ身姿は如何に、黒絽の羽織に白地の裕衣、態とならぬ金ぐさり角帯の端かすかに見せて、温和の風姿か優美の相か、言はれぬ處に愛敬もある廿八九の若紳士、老女の方顧みさま詞つき叮寧に、私し通りすがりの身、來歴は何か知らねど、高が女なり老人に失禮はあり勝ち、あれ御覧ぜよあの通り詫ても居ること、往來は其うちにも人の目口うるさきに、洋刃の厄介も御身分がら如何や、何と私しに此處の花、もたせては下さらぬかと、青柳のいと優しく出れば、はて扨他人の入らぬ口出し、詫や詞ですむほどなら、我等今頃は手を引く筈なり、濟まぬ次第きゝたしとならば聞かせもせん、我等二た月三が月、雨露しのがせた事もある大恩人、その上に彼奴めが口車に乗せられて、五圓といふ大金貸したは此方も商賣づく、五一の利息はよしや天地が逆さまにもなれ、一人子の病人死にもせよ、待つてやる約束もなければ、負けてやる覺えもなし、夫れに何ぞや泣ごとのかず/\"數々、地藏の顔も方圖のあるもの、利足の形にも不足なれど、何一つでも取るが取り徳、この代物引取つて行かんといふは、餘り無理でも無きつもりと、鼻で笑ふ髭づら憎くし、若き男はから/\と高笑ひして、何ぞと思ひしに金ですむ事なりしか、さりとては譯もなし、入らぬ他人と言はるれど、何れ四海の内輪同志、金は我れ立て換へんと、紙入れ探ぐつて五圓札一枚一圓一顆、是れではまだ/\御不足ならんが、内實持ち合せは是れ限りなり、何と雨露しのがせるほどの大恩人さま、了簡しては遣はされぬかと、飽まで柔和は粧ひながら、否なと言はゞあの純白の拳何處に揮つて、あの髭男微塵になるも知れがたしと、芝居氣のある見物が囁き可笑し、彼の男は掻きさる様に、金懐中にねぢ込んで、取り出す證書幾通、幾多の人の涙の種を印刷にせし文言名當て、あれか是れかと探がし出して、よしか慥に渡しましたぞ不足を言はゞまだ/\なれど、取らぬには増し是れで算用ずみとすれば、老婆めは大した儲けもの、好ひ親分見付け出して是れから利の出ぬ金借りらるゝやら、人事ながら慈善家の末が案じられると、冷笑て拂ふ裳の塵、禮も返さず耻ぢもせず人かき分けてのさりのさり、行くての大地裂けもせず、躓づく石の無きも不審し、若き男は老女が陳ぶる禮よく聞かず、何の/\是式のこと、有つたればこそ、役にも立つたれ、無くは我れと其方様と何づれ替らぬ難義の淵、浮き沈みは浮世の常に、お禮は其方様大分限になられし時、此方より御催促に出るまでは、お預けのことお預けのこと、はて名告をする程聞こえても居らぬ名、先づ夫れもご免なされと、取すがる袖引はなして、優然と去る後ろ影、光明赫灼として輝くとぞ拝まれぬ。 第三回 歳十三の暁より、繪筆とり初めて十六年、一心斯の道に入江籟三、富貴を浮雲の空しと見れど、猶風前の塵一つ、名譽を願ふ心拂ひがたく、三寸の胸中欲火つねに燃えて、高く掛るべき心鏡くもりといふは是れのみなり、さればとて世に媚び人に媚ること、生をかへぬ限りならぬ質、我れより頭下ぐること、金輪奈落いやといふ一點ばりに、頑物の名高くなるほど、我慢と意地は満身に行わたりて、入れられぬ世と彌々うしろ向きに成る心、見をれ此腕なにが住むか、一飛得意の暁にはと、人も聞かぬ大言はきて、僅かに熱膓を冷やす物の、扨も諸道のさまたげと言ふ、貧より外に伴侶のなき身、其得意の曉いつとか待たん、彌勒の出世と並らべ立てゝ甲乙の無き物よと思ふに、口惜しの念胸をさして、瞼の合はぬ夜半も多かり、寐ぬに明けたる或る朝、おく庭草の露を見て亡師のことふツと思ひ出し、俄かに寺参り仕度なり、垣根の夏菊無造作に折りとつて、お蝶が暫時と止むるも聞かず、朝飯まへに家を出けり、寺は伊皿子の臺町なれば左までには遠くも非ず泉岳寺わきの生垣青々とせし中を過ぎて、打水すゞしく箒木目のたつ細道を、がらりざらりと百足下駄に力を入れて、纏はる片裾うるさしと、捲くり上ぐるや空臑あらはに、何の見得もなく、身に小男の面さし醜くからねど、色くろ/\"黒々と骨だちて、高き鼻しまりし口、眼ざしぎろりと青く凄く、沈鬱の症何處か淋しく、紺薩の古手に白兵児の姿、懐中に建白書相應なれど、右手に持つ夏菊の花の色、流石にやさしき處も見えけり、心こつて見る目には、映るものも映る物も皆その色、細づくりの格子戸まへに、米澤數寄屋の肌つき美くしき人、黒繻子の帯腰つきすつきりとして、芙蓉の面に淡彩の工合、楊柳の髪に根がけの好み、扨も美かな扨も美かな、此美にすさむ心がけを我が陶畫の上に移して、共に協力の友を得たしと、茫然自失ながめ入ればあれ薄氣味の悪るき人と、逃こまれて我れながら、取りとめ無き考へ馬鹿らしく、振むきもせず又五六歩、三歳ばかりの男の子のちよろ/\と馳せ出しが、袖なし裕衣の模様は何、籬に菊の崩し形か、夫れよ今度の香爐にあの書き廻しも面白かるべし、注文は龍田川とか、何の我が腕で我が書くに、入らぬ遠慮究窟くさし、先師の言付より外は他人の意見いれたこと無き籟三、身貧に迫つて意を曲ぐるなど嫌やな事なり、さりながら我れ頑物の兄故に、世の人並みのこともせず、米味噌醤油に追ひ遣はるゝお蝶、思へば兄風も吹かされねど、成り行と諦らめて居て呉れる様子、夫れも夫なり、時運めぐらば何時かは花も咲くものよ、衡門に黒ぬり車出入させて、奥様と尊めらるゝやうに成るも不思儀はなし、鳴呼その衡門よりは、天晴れの人物えらびて添はせたきものと、何がなしに案じてふツと仰げば、今も想像の衡門に、篠原辰雄といかめしき表札、籾も立派の住居かな、主人公はどんな人、身分はいかに、愛國の志しある人ならば、日本固有の美術の不振、我が畫工疲弊の情、説かば談合の膝にもと、夢知らぬ人に望みを属す、狂氣の沙汰に心もつかず彼れを思ひ、是れを思ひ、何時とは無しに坂も登りぬ、寺門くゞり入れどお僧どの寐坊にや、まだ看經の聲もなく、白然の寂寞境に、あさ風さつと松に吹いて、身にしみる心地何とも言ヘず、本堂をめぐりて裏手の墓處へと、手桶の并らぶ阿伽井のもとを過ぎる時、入江様しばしと呼止める聲、少し覺えのと顧見れば、つか/\と馳せ寄つて、物言はず大地に兩手を突く男、あやしや何者と呆れて立つ、足もとに身を縮めて、お見忘れか但し人外の私、お詞も下されまじとか、正路潔白の君に對して、合はすべき面貌もなく、言ふ詞出處もなき失策、後悔しぬきし改心の今日、我が田へ水の辧解ではなし、懺悔に滅ぼしたき罪のあらまし、聞いて給はる人外になき身、相弟子のよしみ昔なじみ、君を見かけてのお頼みと、頭も上げず詫り入る体、領足美事に耳うらに二つ并ぶ黒子、夫なり姿こそ變りたれ彼奴新次め、先師が殊に寵愛にて、行行は養子にもと骨折られしを、生地注文にと多分の金引出して、其まゝの行方しれず、師の臨終にも有り合さぬ人非人、今頃此處らを彷徨こと憎くし、何の相弟子失禮至極と、生來の疳癖目尻に現はれて、言ふこと宜くは耳にも入れず、聞き度なしお黙りなされ、相弟子ならば兄弟分、言ふ事あり咎むる事あり責むる事あり、さりながらお前様と我れ何でもなし、他人も他人見ず知らず、入江籟三潔白を尊ぶ身の、友とも仰せらるゝな、中々の耳ざはりなり、其處退きて給はれ、露をさながら志しの手向けの花、萎るゝも口惜しければと、詞少なに行き過ぎる袂、あわたゞしく先づと扣へて、御尤ながら恨めしきお詞、責め給へ咎め給へ、罪と知つて苦るしき身の上、御折檻の笞にも逢はゞ、却つて身の本懐なるを、捨てゝ顧見ぬ他人向きの仰せ、昔しの入江様、今日の入江様、お人替りしか、お心二つか、我今までの目違か、君を先師の形見とみて、改心の實も謝罪の情も、君に寄つて現はし度き願ひ、さりとは畫餅のお詞かなと、半いはさず振かへる籟三、だまれと一と聲鬱憂の氣のこりたる餘り、物あらば當らん破裂の勢ひ、唇ぶる/\と顫へて生來の訥辯いよ/\訥に、汝れ新次人非人、恩しらず義理知らず道しらず、汝れが罪の身を責むるは知らず、我れを批難するか、我れを批難するか、我れ籟三昔しも今も、正義を立て公道を踏んで、一歩の過ち覺えなき身、どこの何處に何の欠點、言ひ聞かん言ひ聞かんと、詰め寄る眼尻きり/\と釣つて、汝不忠不義の奴も、先師寵愛の餘りには、世に其罪を包まれて、知る者は師と我ばかり、我れ一と度言はじと定めて十年近く、此口開かねばこそ汝れ安穏に、月日の光り拝むは誰が庇護、頼まれず共折檻の笞此處にあり、墓前へ手向けん志しの、此花で打つに不思議もなし、打手は籟三精神は先帥、口惜しくば身にしみよ骨にしみよと續け打ち、手に持つ菊花なげつけて、白眼つむる眼の内に感じ來れる新次が体、昔しながらの美顔今一層の品を備へて、あはれ好男子身じろぎもせず、瞼にあふるゝ後悔の涙、眉宇に満つ慙愧の状、此人先師の愛せし人、我れに謝罪と思ひ込みし人、憎くむが本義か、捨つるが道か、と許迷つて判斷の胸うやむやに成る時、静かに頭を上げて言ひ出る一通り、聞けば誤りたり我れ短慮軽忽< 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