収録作品
【1892年】
うもれ木
たま襷
闇櫻
五月雨
別れ霜
經つくえ
【1893年】
暁月夜
琴の音
雪の日
【1894年】
暗夜
花ごもり
大つごもり
【1895年】
うつせみ
たけくらべ
にごりえ
ゆく雲
雨の夜
月の夜
軒もる月
十三夜
【1896年】
あきあはせ
うらむらさき
この子
すゞろごと
わかれ道
われから
反古しらべ
さをのしづく
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総ページ数 3
別れ霜 樋口一葉 第一囘 荘子が蝶の夢といふ世に義理や誠は邪魔くさし覺め際まではと引しむる利慾の心の秤には黄金といふ字に重りつきて増す寶なき子寶のうへも忘るゝ小利大損いまに初めぬ覆車のそしりも我が梶棒には心もつかず握つて放さぬ熊鷹主義に理屈はいつも筋違なる内神田連雀町とかや、友囀りの喧しきならで客足しげき呉服店あり、賣れ口よければ仕入あたらしく新田と呼ぶ苗字そのまゝ暖簾にそめて帳塲格子にやに下るあるじの運平不惑といふ四十男赤ら顔にして骨たくましきは薄醤油の鱚鰈に育ちて世のせち辛さなめ試みぬ附け渡りの旦那株とは覺えざりけり、妻はいつ頃なくなりけん、形見に娘只一人親に似ぬを鬼子とよべど鳶が産んだるおたかとて今年二八のつぼみの花色ゆたかにして匂濃やかに天晴れ當代の小町衣通ひめと世間に出さぬも道理か荒き風に當りもせばあの柳腰なにとせんと仇口にさへ噂し連れて五十稻荷の縁日に後姿のみも拝し得たる若ものは榮譽僥倖上やあらん卒業試験の優等證は何のものかは國曾議員の椅子にならべて生涯の希望の一つに數へいるゝ學生もありけり、さればこそ一たび見たるは先づ驚かれ再び見たるは頭やましく駿河臺の杏雲堂に其頃腦病患者の多かりしこと一つに此娘が原因とは商人のする掛直なるべけれど兎に角其美は争はれず、姿形のうるはしきのみならで心ざまのやさしさ情の深さ絲竹の道に長けたる上に手は瀧本の流れを汲みてはしり書うるはしく四書五經の角々しきはわざとさけて伊勢源氏のなつかしきやまと文明暮文机のほとりを離さず、さればとて香爐峯の雪に簾をまくの才女めきたる行ひはいさゝかも無く深窓の春深くこもりて針仕事に女性の本分を盡す心懸け誠に殊勝なりき、家に居て孝順なるは出て必らず貞節なりとか、これが所夫と仰がれぬべく定まりたるは天下の果報の一人じめ前生の功徳いか許り積みたるにかと世にも人にも羨まるるはさしなみの隣町に同商中の老舖と知られし松澤》儀右衛門が一人息子に芳之助と呼ばるゝ優男、契りは深き祖先の縁に引かれて樫の實の一人子同志、いひなづけの約成立しはお高がみどりの振分髪をお烟草盆にゆひ初むる頃なりしとか、さりとては長かりし年月、ことしは芳之助もはや廿歳今一兩年經たる上は公に夫とよび妻と呼ばるゝ身ぞと想へば嬉しさに胸をどりて友達の嬲ごとも恥かしく、わざと知らず顔つくりながらも潮す紅の我しらず掩ふ袖屏風にいとゞ心のうちあらはれて今更泣きたき事もあり人みぬひまの手習に松澤たかとかいて見て叉塗隠すあどけなさ利發に見えても未通女氣なり同じ心の芳之助も射る矢の如しと口にはいへど待つ歳月はわが爲に弦たゆみしやうに覺えて明かし暮らす程のまどろかしさよ、高殿に見る月の夕影を分つはいつぞとしのび、花の下ふむ露のあした双ぶる翅の胡蝶うらやましく用事にかこつけて折々の訪おとづれ、餘所ながら見る花の面わが物ながら許されぬ一重垣にしみ/\“とは物言交すひまもなく兎角うらめしき月日なり隙行く駒に形もあらば我れ手綱を取り鞭を揚ていそがさばやとまで思ひ渡りぬ、されども天は美人を生んで美人を恵まず多くは良配を得ざらしむとかいへり、彌生の花は風必ずさそひ十五夜の月雲かゝらぬはまことに稀なり、覺束なしや才子佳人かがなべて待つ合歓の日はいつか來べき、あし分船のさはり多き世なればこそ親にゆるされ世にゆるされ彼は願ひ此は請ひよしや魔神のうかがへばとてぬば玉の髪一筋さしはさむべき間も見えぬを若此縁結ばれずとせばそは天災か将た地變か。 第二囘 隴を得て蜀を望むは夫れ人情の常なるかも、百に至れば千をと願ひ千にいたれば叉萬をと諸願休む時なければ心常に安からず、つら/\思へば無一物ほど氣樂なるはあらざるべし、大抵が五十年と定まつた命の相場黄金を以て狂はせる譯には行かず、花降り樂きこえて紫雲の來迎する暁には代人料にて事調はずとは誰もかねて知れたる話、鶴千年亀萬年人間常住いつも月夜に米の飯ならんを願ひ假にも無常を觀ずるなかれとは大福長者と成るべき人の肝心肝要かなめ石の固く執つて動かぬ所なりとか、そも松澤新田らが祖先と聞えしは神風の伊勢の人にて夙に大江戸に志を立てゝ糶呉服の見るかげもなかりしより六間間口に黒ぬり土藏時のまに身代たち上りて男の子二人の内兄は無論家の相續弟には母方の絶たる姓を興させて新田とは名告らすれど諸事は別家の格に准じて子々孫々の末迄も同心協カ事を處し相隔離すべからずといふ遺旨かたく奉戴して代々交りをかさね來しが當代の新田のあるじは家につきて血統ならず一人娘に入夫の身なりしかば相思ふの心も深からず且つ利にのみ走る曲者なればかねては松澤が隆盛をたのみてあやにかけたる許嫁のえにし親なり子なり同舅同士なり不足の品あらば持ち給へと彼方にばかり親切を盡さして引入れし利も少なからず世は塞翁がうまき事して幾歳すぎし朝日のかげ昇るが如き今の榮は皆松澤が庇護なるものから咽元すぐれば忘るゝ熱さかく對等の地位に至れば目の上の瘤うるさく成りて獨りつく/\”案ずるやう方十町を距てぬ處に同商業を營むが上に彼れは本家とて世の用ひも重かるべく我とて信用薄きならねど彼方に七分の益ある時こゝには僅かに三分の利のみ我が家繁榮長久の策は彼れ松澤の無きにしかず且つは娘の容色世に勝れたれば是とても又一つの金庫芳之助とのえにし絶えなば通り町の角地面持参の聟もなきにはあらじ一擧兩得とはこれなんめりと思ふ心は娘にも祕め同氣求むる番頭の勘藏にのみ割て明かせば横手を拍つて賛成し主従日夜額をあつめて其方法を講じ居たりき、時なる哉松澤はさる歳商法上の津がふ都合に依り新田より一時借り入れし二千許の金ことしは既に期限ながら一兩年引つゞきての不景氣に流石の老舗も手元豐かならず殊に織元その外にも仕拂ふべき金いと多けれは新田は親族の間柄なり且は是迄我が方より立かへし分も少からねばよもや事情打あけて延期を乞はゞゆるさじと言ひもすまじ他人に内兜を見すかされ機械仕掛のあやつり身上松澤ももう下り坂よと囃されんは口惜しく脊なる新田は後廻し腹の織元其他へ有金大方取あつめて仕拂ひたる噂こそ耳よりのことなれと平生ねらひすませし的彼方より延期をいひ出さぬ間に、切て放して急催促に言譯すべき程もなく忽ち表向きの訴訟沙汰とは成れりける素松澤は數代の家柄世の信用も厚ければ僅々千や二千の金何方にても調達は出來得べしと世人の思ふは反對にて玉子の四角まだ萬國博覽曾にも陳列の沙汰をきかねど晦日に月の出る世の中十五夜の闇もなくてやは奥は朦朧のいかなる手段ありしか新田が畫策極めて妙にしていさゝかの融通もならず示談を請はばやと奔走せしかどそれすらも調はずして新田は首尾よく勝を制し凱歌の聲いさましく引揚げしにそれとかはりて松澤が周章狼狽まこと寐耳に出水の騒動おどろくといふ暇もなく巧みに巧みし計略に争ふかひなく敗訴となり家藏のみか數代續きし暖簾までも皆かれが手に歸したれば木より落たる山猿同様たのむ木蔭の雨森新七といふ番頭の白鼠去年生國へ歸りし後は十露盤玉と筆先に帳尻つくろふ溝鼠のみなりけん主家一大事の今日も申合せたるやうに富士見西行きめ込み見返るものさへあらざれば無念の涙を手荷物にして名のみ床しき妻戀坂下同朋町といふ處に親子三人雨露を凌ぐばかりの家を借りて辛く膝をば入れたりけり、海ならず山ならぬ人世の行路難今初めて思ひ當り淵瀬ことなる飛鳥川の明日よりは何とせん、もと富家に人となりて柔弱にのみ育ちし身は是れと覺えし藝もなく手に十露盤は取りならへど物に當りし事なければ時の用には立ちもせず坐して喰へば空しくなる山高帽子半靴と明日かざりし身の廻りも一つ賣りふたニつ賣りはては晦日の勘定さへ胸につかふる程にもなりぬ。 第三囘 一人並の男になりながら何の腑甲斐ない車夫風情にまで落魄ずともの事外に仕様のあらうものをと大言吐きし昔の心の恥かしさよ誰れが好んで牛馬の代りに油汗ながし塵挨の中馳せ廻るものぞ仕様模様の竭きはてたればこそ恥も外聞もないまぜにからめて捨てた身のつまり無念も残念も饅頭笠のうちに包みて参りませうと聲低に勸める心いらぬとばかりもぎどうに過ぎ行く人それはまだしもなりうるさいはと叱りつけられて我知らずあとじさりする意久地なさまだ霜こほる夜嵐に辻待の提燈の火の消えかへる迄案じらるゝは二親のことなり馴れぬ貧苦に責めらるゝと懐舊の情のやる方なさとが老體の毒になりてや涙がちに同じやうな煩ひ方それも御尤もなり我さへ無念に腹の沸え納まらぬものを胸さける程にも思召すなるべし憎きは新田なり恨めしきは運平なりよしや血をすすり肉をつくすともあきた■るべき奴ならずと冷凍る拳握りつめて當處もなしに睨みもしつ思ひ返せばそれも愚痴なり恨みは人の上ならず我れに男らしき器量あらば是れ程までには窮しもすまじアヽと歎ずれば吐く息しろく見えて身を切る夜風に破れ屏風の内心配になりて絞つて歸るから車財布のものゝ少き程苦勞のたかの多くなりてまたぐ我家の閾の高さ、アヽお歸りかと起返る母、お父さんは御寝なツてですかさぞ御不自由で御座いましたらう何もお變りは御座いませんかと裏問ふ心は疵もつ足、オヽお前の留守に差配どのが見えられてといひさしてしばたゝく瞼の露白岡鬼平といふ有名の無慈悲もの悪鬼よ羅刹よと蔭口するは澁團扇の縁はなれぬ店子共が得手勝手家賃奇麗に拂ひて盆暮の砂糖袋甘き汁さへ吸はし置かば下ぐる目尻と諸共に眉毛の名によぶ地藏顔にも見ゆべけれど、今の身の上には憎くし剛慾もの事情あくまで知りぬきながら知らず顔の烟草ふか/\身に過りあればこそ疊に額ほり埋めて歎願も吹出だす烟の輪と消して、言譯きく耳はなし家賃をさめるか店を明けるか道は二つぞ何方にでもなされとぽんとはたく其煙管で打わつてやりたい面がまち目的なしに今日までと日を延べしは重々此方が悪けれど母上とらへて何言居つたかお耳に入れまいと思へばこそ様々の苦勞もするなれさらでもの御病氣にいとど重さを添へたやうなものはて困つたと言ひはせで低頭く心思案にくれぬ、差配どのが見えられてと母は詞を繰返して何か譯は知らねど今直ぐに此家を立て一寸の猶豫もならぬとそれは/\畫にもかゝれぬ談じやうお前にも料簡あることゝやうやうに言延べて歸ります迄と頼んでは置いたれどマアどうしたら宜からうか思案して見てくだされと小聲ながらもおろ/\涙お案じなされますなどうにかなります今夜は大分更けましたから明日早》々出向きまして談合ひをつけませうナニ少しの行違ひでそれほどの事では御座いませんと我が親にまでいつはるとはさても後のよ恐ろしゝ、寝ぬに明くる夜明け烏もこうと鳴きて反哺の教へとなるものを生甲斐なや五尺の身に父母の恩荷ひ切れずましてや暖簾の色むかしに染めかへさんはさて置きて朝四暮三のやつ/\しさにつく/\”浮世いやになりて我身捨てたき折々もあれど病疲れし兩親の寝顔さし覗くごとに我なくば何とし給はん勿體なしと思ひ返せど沸くは涙か藥鍋の下炭火とろ/\と消え勝の生計とて良醫の手にもかゝられねば見す/\重り行く心ぐるしさよ思へば天も地も神も佛も我為には皆仇か今この場合を見すぐしにするとは何の事ぞ新田こそ運平こそ大悪人の骨頂なれ娘ばかりはよもやと思へどそれもこれも心の迷ひか姿こそ詞こそやさしけれ瓜の蔓に生らぬ茄子父親と同じ心になつて今の我身に愛想が盡きて、人傅の文一通それすらもよこさぬとは外面女菩薩、内心はあれも如夜叉め。(■は「厭」の下に「食」を置く) 第四囘 他人はとまれお前さまばかりは高が心御存じと思うたは空だのめか情ないお詞お前さまと縁きれて生存へる私と思召すか恨みを申さば其お心が恨みなり父様が悪計それお貴め遊ばすにお答への詞もなけれど其くやしさも悲しさもお前さまに劣ることかは人知らぬ夜の家具の襟何故にぬるゝものぞ涙に色のもしあらば此袖ひとつにお疑ひは晴れやうもの一つ穴の獣とは餘りの仰せつもりても御覽ぜよ繋がれねど身は籠の鳥も同じこと風呂屋に行くも稽古ごとも一人あるきゆるされねば御目にかゝる折もなく文あげたけれど御住所誰に問ひもならず心にばかり泣て泣て居りましたを薄情もの義理しらずと押くるめてのお詞お道理なれど御無理なり此身一つに科があらば打たれもせん突かれもせん膝ともといふ談合相手に遊ばしてよと涙ながら控へる袂を鋭く拂つてお高どの詞ばかりは嬉しけれど眞實やら何やら心まで見る目は芳之助あいにく持たず父御の心も大方は知れてあり甲斐性なしの我れ嫌になりて縁の絶ちどが無さに計略三昧かゝりし我等は罠のうちの獣ぞ手を打て笑はるゝ筈を何の涙お化粧がはげては氣の毒なり牛に乗換へるうまき話も内々は有ることならんを家藏持参の業平男に見せ給ふ顔我等づれに勿體なしお退きなされよ見たくもなしとつれなしや後むき憎らしき事の限り並べられても口惜しきはそれならず解けぬ心にあらはれぬ胸うらめしく君様こそは何とも思召すましけれど物ごゝろ知る其頃よりさま/\“のこと苦勞にして身だしなみ物學び彼れか此れかお氣に入りたや飽かれまじと心のたけは君様故に使はれて片時安き思ひもせずお友達遊びも芝居行きもお嫌ひと知れば大方は斷りいうて僻物と笑はれしは誰れの爲をさな遊びの昔は知らず睦じき中にも恥かしさが楯に成りて思ふこと思ふままにも得いはざりしを淺き心と思召すか假令どのやうな事あればとて仇し人に何のその笑顔見せてならうことかは山ほどの恨みも受くる筋あれば詮方なし君様に愛想つきての計略かとはお詞ながら餘りなり親につながるゝ子罪は同じと覺悟ながら其名ばかりはゆるし給へよしや父様にどのやうなお憎しみあればとて渝らぬ心の私こそ君様の妻なるものを何とげ/\しい他人あしらひ聞えぬお心やといひたさを押ゆる涙袖に置きてモシと止めれば振拂ふ羽織のすそエエ何さるゝ邪魔くさし我はお前さまの手遊ならずお伽になるは嬉しからず其方は大家の娘御暇もあるべしその日暮しの身は時間もをしく誰れぞ相手をお探しなされと振はらへば叉すがり芳さまそれは御眞實かと見上ぐる面睨みかへして嘘いつわりはお前さまなどのなさること義理人情のある世ならよもやと思ふ生正直から飼ひ犬同様な人でなしに手をかまれて暖簾に見る恥は誰れゆゑぞ原を正せば根分けの菊親子の中に知らぬといふ道理はなしよし知らぬにせよ知るにせよそれは其方の御勝手なり仇敵の子を妻にもせられず嫁にもすまじ言ふこともなし聞くことも無し恨みつらみを並べ立てなば力車に牛の汗何の積み載せきれるものかは言はぬが花ぞお前さまは盛りの身春めき給ふは今の間なるべし蓆かぶりながら見送らんと詞叮嚀に氣込あらく齒の根きり/\と喰ひしばりて釣り上ぐる眉根おそろしく散髪斜めに拂ひあげて白き面てに紅の色さしも優しき常には似ず止めれば振きる袖袂まづ今しばしと詫びつ恨みつ取りつく手先うるさしと立蹴にはたと蹴倒されはつと泣く聲我れとわが耳に入りて起き返るは何處、平常の部屋に倚りかゝる文机の湖月抄こてふの巻の果敢なく覺めて叉思ひそふ一睡の夢夕日かたぶく窓の簾風にあほれる音も淋し。 第五囘 お珍らしやお高さま今日の御入來は如何いふ風の吹まはしか一昨日のお稽古にも其前もお顔つひにお見せなさらずお帥匠さまも皆さまも大底でないお案じ日がな一日お噂して居ましたと嬉しげに出向ふ稽古朋輩錦野はな子と呼ばれて醫學士の妹博愛仁慈の聞えたかき兄を見眞似か温厚しづくり何某學校通學生中に萬緑叢中一點の紅と稱へられて根あがりの高髷に被布扮粧廿歳を越しての肩縫あげ可愛らしき人品なりお高さま御覽なされ老人なき家の埒のなさ兄は兄とて男の事家内のことはとんと棄物妾一人が拍つも舞ふもほんに挨だらけで御座いますと笑ひて誘ふ座蒲團の上おかまひ遊ばすなと沈み聲にお高うやむやの胸の關所たれに打明けん相手もなし朋友の誰れ彼れ睦まじきもあれどそれは春秋の花紅葉對にして挿す簪の造物ならねど當座の交際姿こそはやさしげなれ智慧宏大と聞くは此人すがりて見ばやとこれも稚氣さりながら姿に知れぬは人の心笑ひものにされなばそれも恥かし何とせんと思ふほど兄弟ある人羨ましくなりてお兄様はおやさしいとかお前さま羨ましと口を洩るれば花子少し笑みを含んでこればかりは私の幸福さりとて喧嘩する時もあり無理な小言いはれまして腹立ち合ふこともあれど跡も無し先もなし生海鼠のやうなと笑はれます此頃は施療に暇がなうて芝居も寄席もと御無沙汰その内にお誘ひ申します兄はお前さまをといひかけて笑ひ消す詞何としらねどお施しとはお情深い事さぞかし可哀さうのも御座いませうと思ふことあれば察しも深し花子煙草は嫌ひと聞しが傍の煙管とりあげて一服あわたゞしく押やりつそれはもうさま/\”ツイ二日計前のこと極貧の裏屋の者が難産に苦みまして兄の手術に母子とも安全ではありましたれど赤子に着せる物がないとか聞きませば平常の心に承知がならず其の夜通して針仕事着るもの二つ遣はしましたと得意顔の物語り徳は陰なるこそよけれとか聞しが怪しのことよと疑ふ胸に相談せばやの心は消えぬ花子さま/\”の患者の話しに昨日往診し同朋町とやら若しやと聞けばつゆ違はぬ様子なりそれほどまでにはよもやと思へど正しくならば何とせん實否くはしく聞きたしと思へど咎むる心に詞つまりて應答何やらうろうろになりぬお高さま御ゆるりなされ今兄も戻りまする先それよりはお目に懸けたきもの往日お話し申せし兄が秘藏の晝帖イヱお前さまに御覽に入るゝに賞められこそすれ何として小言聞くことではなしお待遊ばせよと饗應ぶり詞滑かの人とて中々に歸しもせず枝に枝そふ物がたり花子いとゞ眞面目になりて斯う申してはをかしけれどお前さまはお一人子私とても兄ばかり女の同胞もちませねば淋しさは同じこと何かにつけて心細し御不足かは知らねど妹と思召してよと底にものある詞遣 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