樋口一葉の世界にようこそ  ここには樋口一葉の文学を知る上で貴重な作品が多数収録されています。 是非ご覧になり貴重な一様文学の神髄をお楽しみ下さい。
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収録作品
【1892年】
うもれ木
たま襷
闇櫻
五月雨
別れ霜
經つくえ
【1893年】
暁月夜
琴の音
雪の日
【1894年】
暗夜
花ごもり
大つごもり
【1895年】
うつせみ
たけくらべ
にごりえ
ゆく雲
雨の夜
月の夜
軒もる月
十三夜
【1896年】
あきあはせ
うらむらさき
この子
すゞろごと
わかれ道
われから
反古しらべ
さをのしづく




 

総ページ数 1

 雪の日
 樋口一葉
 
 
  見渡すかぎり地は銀沙を敷きて、舞ふや蝴蝶の羽そで軽く、枯木も春の六花の眺めを世にある人は歌にも詠み詩にも作り、月花に並べて稱ゆらん浦山しさよ、あはれ忘れがたき昔しを思へば、降りに降る雪くちをしく悲しく、悔の八千度その甲斐もなけれど、勿躰なや父租累代墳墓みはかの地を捨てゝ、養育の恩ふかき伯母君にも背き、我が名の珠に恥かしき、親は瑕なかれとこそ名つけ給ひけめ、瓦に劣る世を経よとは思しも置かじを、そもや谷川の水おちて流がれて、清からぬ身に成り終りし、其あやまちは幼気おさなぎの、迷ひは我れか、媒は過ぎし雪の日ぞかし。
  我が故郷は某の山里、草ぶかき小村なり、我が薄井うすゐの家は土地に聞えし名家にて、身は其一つぶもの成りしも、不幸は父母はやく亡せて、他家ほかに嫁ぎし伯母の是れも良人を失なひたるが、立帰りて我をば生したて給ひにき、さりながら三歳といふより手しほに懸け給へば、我れを見ること眞實まことの子の如く、蝶花の愛親おやといふ共これには過ぎまじく、七歳よりぞ手習ひ學問の師を撰らみて、糸竹の芸は御身づから心を尽くし給ひき。
  扨もたつ年に關守なく、腰揚あげとれて細眉つくり、幅びろの帯うれしとし締めしも、今にして思へば其頃の愚かさ、都乙女の利發には比らぶべくも非らず、姿ばかりは年齢ほどに延びたれど、男女の差別なきばかり幼なくて、何ごとの憂きもなく思慮もなく明し暮らす十五の冬、我れさへ知らぬ心の色を何方の誰れか見とめけん、吹く風つたへて伯母君の耳にも入りしは、これや生れて初めての、仇名ぐさ戀すてふ風説なりけり。
  世はあやまりの世なるかも、無き名とり川波かけ衣、ぬれにし袖の相手といふは、桂木一郎とて我が通學せし學校の師なり、東京の人なりとて容貌みめうるはしく、心やさしければ生徒なつきて、桂木先生と誰れも褒めしが、下宿は十町ばかり我が家の北に、法正寺と呼ぶ寺の離室はなれを假ずみなりけり、幼なきより教へを受くれば、習慣ならはしうせがたく我を愛し給ふこと人に越えて、折ふしは我が家をも訪ひ又下宿にも伴なひて、おもしろき物がたりの中に様々教へを含くめつ、さながら妹の如くもてなし給へば、同胞なき身の我れも嬉しく、學校にての肩身も廣かりしが、今はた思へばげ實に人目には怪しかりけん、よしや二人が心は行水の色なくとも、ふや嶋田髷これもどもならぬに、師は三十に三つあまり、七歳にしてと書物の上には學びたるを、忘れ忘られて睦みけん愚かさ。
  見る目は人の咎にして、有るまじき事と思ひながらも、立ちし浮名の消ゆる時なくば、惜│白玉たらきずに成りて、其身一生の不幸のみか、あれ見よ、伯母そだてにて投げやりなれば、薄井の娘が品行しだらさ、両親あれば彼の様にも成らじ物と、言ひたきは人の口ぞかし。
  思ふも涙は其方そちが母、臨終いまはの枕に我れを拝がみて。
  姉様お願は珠が事をと。
  幽かに言ひし一言あはれ千萬無量の思ひを籠めて、まこと闇路に迷ひぬべき事なるを、引受けし我れ其甲斐もなく、世の嗤笑ものわらひに爲しも終らば、第一は亡き妹に對し我が薄井の家名に對し、伯母が身は抑も何とすべき。
  と御聲ひくゝ四壁あたりを憚りて、口数すくなき伯母君が思し合はすることありてか、しみじみと諭し給ひき、我れ初めは一向夢ひたすらの様に迷ひて何ごとゝも思ひ分かざりしが、漸々伯母君の詞するどく。
  よく聞けよお珠、桂木様は其方を愛で給ふならん、其方も又慕はしかるべし、されども此處にきまりありて、我が薄井の家には昔しより他郷の人と縁を組まず、況てや如何に學問は長じ給ふとも、桂木様は何者の子何者の種とも知らぬを、門閥家いゑがらなる我が薄井の聟とも言ひがたく嫁にも遣りがたし、よし戀にてもかぞかし、無き名なりせば猶さらのこと、今よりは構へて往來もし給ふな、稽古もいらぬ事なり、其方大切なればこそお師匠様と追從もしたれ、益も無き他人を珍重には非らず、としごろ美事に育だて上げて、人にも褒められ我れも誇りし物を、口惜しき濡れ衣きせられしは彼の人ゆゑなり、今までは今までとして、これよりふつつりと行ひを改ため、其方が名をも雪ぎ我が心をも安めくれよ、兎角に其方が仇は彼の人なれば、家を思ひ伯母を思はゞ、桂木とも思すな一郎とも思すな、彼の門すぎる共寄り給ふな。
  と畳みかけて仰する時我が膓は斷ゆる斗に成りて、何の涙ぞ瞼に堪へがたく、袖につゝみて音に泣きしや幾時。
  口惜しかりしなり、其内心のいかに世の人とり沙汰うるさく一村擧こぞりて我れを捨つるとも、育て給ひし伯母君の眼に、我が清濁は見ゆらんものを、けがれたりとや思す恨らめしの御詞、師の君とても咋日今日の交りならねば、正しき品行は御覧じ知る筈を、誰が讒言さかしらに動かされてか打捨て給ふ情なさよ、成らば此胸かきさばきても身の潔白の顯はしたやと哭きしが、其心の底何者の潜みけん、駒の狂ひに手綱の術も知らざりしなり。
  小簾のすきかげ隔てといへば、一重ばかりも疾ましきを、此處十町の間に人目の關きびしく成れば、頃は木がらしの風に付けても、散りかふ紅葉のさま浦山しく、行くは何處どこまでと遠く詠むれば、見ゆる森かげ我を招くかも、彼の村外れは師の君のと、住居のさま面かげに浮かんで、夕暮ひゞく法正寺の鍾の音かなしく、さしも心は空に通へど流石に戒しめ重ければ、あしは其方に向けも得せず、せめては師の君訪ひ來ませと待てど、立つ名は此處にのみならで、憚りあればにや音信もなく、と絶えし中に千秋を重ねて、万代いわふ新玉の、歳たちかへつて七日の日來りき、伯母君は隣村の親族がり年始の礼にと趣き給ひしが、朝より曇り勝の空いや暗らく成るまゝに、吹く風絶へたれど寒さ骨にしみて、引入るばかり物心ぼそく不圖ながむる空に白き物ちら/\、扨こそ雪に成りぬるなれ、伯母様さぞや寒からんと炬燵のもとに思ひやれば、いとど降る雪用捨なく綿をなげて、時の間に隠くれけり庭も籬も、我が肱かけ窓ほそく開らけば一目に見ゆる裏の耕地の、田もかくれぬ畑もかくれぬ、日毎に眺むる彼の森も空と同一ひとつの色に成りぬ、あゝ師の君はと是れや抑々まよひなりけり。
  禍ひの神といふ者もしあらば、正しく我身さそはれしなり、此時の心何を思ひけん、善とも知らず悪しとも知らず、唯懐かしの念に迫まられて身は前後無差別に、免がれ出しなり、薄井の家を。
  是れや名残と思はねば馴れし軒ばを見も返へらず、心いそぎて庭口を出しに、嬢様この雪ふりに何處へとて、お傘をも持たずにかと驚ろかせしは、作男の平助とて老實まめやかに愚かなる男なりし、伯母様のお迎ひにと偽れば、否や今宵はお泊りなるべし、是非お迎ひにとならば老僕おやぢが参らん、先待給へと止めらるゝ憎くさ、眞實は此雪に宜くこそと賞められたく、是非に我が身行きたければ、其方は知らぬ顔にて居よかしと言ふに、取しめなく高笑ひして、お子達は扨らちも無きもの、さらば傘を持給へとて、其身の持ちしを我れに渡しつ、轉ろばぬ様に行き給へと言ひけり、由縁あれば武藏野の原こひしきならひ、此一ト言さへ思ひ出らるゝを、無情つれなかかりしも我が爲、嚴しかりしも我が為、末宜すゑよかれとて尽くし給ひしを、思ふも勿躰なきは伯母君のことなり。
  斯くまでに師は戀しかりしかど、夢さら此人を良人つまと呼びて、共に他郷の地を踏まんとは、かけても思ひ寄らざりしを、行方なしや迷ひ、窓の呉竹ふる雪に心下折したをれて、我れも人も、罪は誠の罪に成りぬ、我が故郷を離れしも我れ伯母君を捨てたりしも、此雪の日の夢ぞかし。
  今さらに我が夫を恨らみんも果敢なし、都は花の見る目うるはしきに、深山木の我れ立ち並らぶ方なく、草木の冬と一人しりて、袖の涙に昔しを問へば、何ごともすべて誤なりき、故郷の風の便りを聞けば、伯母君は我が上を歎げき歎げきて、其歳の秋かなしき數に入り給ひしとか、悔こそ物の終りなれ、今は浮世に何事も絶えぬ、つれなき人に操を守りて知られぬふしたもたんのみ、思へば誠と式部が歌の、ふれば憂さのみ増さる世を、知らじな雪の今歳も又、我が破れ垣をつくろひて、見よとや誇る我れは昔の戀しきものを』
 
 (完)
 
 ルビ
 

  

  
 

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  樋口一葉収録作品 (アイウエオ順)
  【ア行】
暁月夜 (1893年) 
あきあはせ (1896年) 
雨の夜 (1895年) 
うつせみ (1895年) 
うもれ木 (1892年) 
うらむらさき (1896年) 
大つごもり (1894年) 
【カ行】
經つくえ (1892年) 
琴の音 (1893年) 
この子 (1896年) 
【サ行】
五月雨 (1892年) 
さをのしづく (1896?年) 
十三夜 (1895年) 
すゞろごと (1896年) 
【タ行】
たけくらべ (1895年) 
たま襷 (1892年) 
月の夜 (1895年) 
【ナ・ハ行】
にごりえ (1895年) 
軒もる月 (1895年) 
花ごもり (1894年) 
反古しらべ (1896年) 
【ヤ・ワ行】
闇櫻 (1892年) 
暗夜 (1894年) 
雪の日 (1893年) 
ゆく雲 (1895年) 
別れ霜 (1892年) 
わかれ道 (1896年) 
われから (1896年)