大つごもり
(2)
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その日も暮れ近く旦那つりより惠比須がほして歸らるれば、御新造も續いて、安産の喜びに送りの車夫にまで愛想よく、今宵を仕舞へば又見舞ひまする、明日は早くに妹共の誰れなりとも、一人は必らず手傳はすると言ふて下され、さてさて御苦勞と蝋燭代などを遣りて、やれ忙がしや誰れぞ暇な身躰を片身かりたき物、お峰小松菜はゆでゝ置いたか、數の子は洗つたか、大旦那はお歸りに成つたか、若旦那はと、これは小聲に、まだと聞いて額に皺を寄せぬ。 石之助其夜はおとなしく、新年は明日よりの三ヶ日なりとも、我が家にて祝ふべき筈ながら御存じの締りなし、堅くるしき袴づれに挨拶も面倒、意見も實は聞あきたり、親類の顏に美くしきも無ければ見たしと思ふ念もなく、裏屋の友達がもとに今宵約束も御座れば、一先お暇として何れ春永に頂戴の數々は願ひまする、折からお目出度矢先、お歳暮には何ほど下さりますかと、朝より寢込みて父の歸りを待ちしは此金なり、子は三界の首械といへど、まこと放蕩を子に持つ親ばかり不幸なるは無し、切られぬ縁の血筋といへば有るほどの惡戲を盡して瓦解の曉に落こむは此淵、知らぬと言ひても世間のゆるさねば、家の名をしく我が顏はづかしきに惜しき倉庫をも開くぞかし、それを見込みて石之助、今宵を期限の借金が御座る、人の受けに立ちて判を爲たるもあれば、花見のむしろに狂風一陣、破落戸仲間に遣る物を遣らねば此納まりむづかしく、我れは詮方なけれどお名前に申わけなしなどゝ、つまりは此金の欲しと聞えぬ。母は大方かゝる事と今朝よりの懸念うたがひなく、幾金とねだるか、ぬるき旦那どのゝ處置はがゆしと思へど、我れも口にては勝がたき石之助の辯に、お峰を泣かせし今朝とは變りて父が顏色いかにとばかり、折々見るや尻目おそろし、父は靜かに金庫の間へ立ちしが頓て五十圓束一つ持ち來て、これは貴樣に遣るではなし、まだ縁づかぬ妹どもが不憫、姉が良人の顏にもかゝる、此山村は代々堅氣一方に正直律義を眞向にして、惡い風説を立てられた事も無き筈を、天魔の生れがはりか貴樣といふ惡者の出來て、無き餘りの無分別に人の懷でも覗うやうにならば、恥は我が一代にとゞまらず、重しといふとも身代は二の次、親兄弟に恥を見するな、貴樣にいふとも甲斐は無けれど尋常ならば山村の若旦那とて、入らぬ世間に惡評もうけず、我が代りの年禮に少しの勞をも助くる筈を、六十に近き親に泣きを見するは罰あたりで無きか、子供の時には本の少しものぞいた奴、何故これが分りをらぬ、さあ行け、歸れ、何處へでも歸れ、此家に恥は見するなとて父は奧深く這入りて、金は石之助が懷中に入りぬ。
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お母樣御機嫌よう好い新年をお迎ひなされませ、左樣ならば參りますと、暇乞わざとうやうやしく、お峰下駄を直せ、お玄關からお歸りでは無いお出かけだぞと圖分/\しく大手を振りて、行先は何處、父が涕は一夜の騷ぎに夢とやならん、持つまじきは放蕩息子、持つまじきは放蕩を仕立る繼母ぞかし。鹽花こそふらね跡は一まづ掃き出して、若旦那退散のよろこび、金は惜しけれど見る目も憎ければ家に居らぬは上々なり、何うすれば彼のやうに圖太くなられるか、あの子を生んだ母さんの顏が見たい、と御新造例に依つて毒舌をみがきぬ。お峰は此出來事も何として耳に入るべき、犯したる罪の恐ろしさに、我れか、人か、先刻の仕業はと今更夢路を辿りて、おもへば此事あらはれずして濟むべきや、萬が中なる一枚とても數ふれば目の前なるを、願ひの高に相應の員數手近の處になく成しとあらば、我れにしても疑ひは何處に向くべき、調べられなば何とせん、何といはん、言ひ拔けんは罪深し、白状せば伯父が上にもかゝる、我が罪は覺悟の上なれど物がたき伯父樣にまで濡れ衣を着せて、干されぬは貧乏のならひ、かゝる事もする物と人の言ひはせぬか、悲しや何としたらよかろ、伯父樣に疵のつかぬやう、我身が頓死する法は無きかと目は御新造が起居にしたがひて、心はかけ硯のもとにさまよひぬ。 大勘定とて此夜あるほどの金をまとめて封印の事あり、御新造それ/\と思ひ出して、懸け硯に先程、屋根やの太郎に貸付のもどり彼金が二十御座りました、お峰お峰、かけ硯を此處へと奧の間より呼ばれて、最早此時わが命は無き物、大旦那が御目通りにて始めよりの事を申、御新造が無情そのまゝに言ふてのけ、術もなし法もなし正直は我身の守り、逃げもせず隱られもせず、欲かしらねど盜みましたと白状はしましよ、伯父樣同腹で無きだけを何處までも陳べて、聞かれずば甲斐なし其場で舌かみ切つて死んだなら、命にかへて嘘とは思しめすまじ、それほど度胸すわれど奧の間へ行く心は屠處の羊なり。
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お峰が引出したるは唯二枚、殘りは十八あるべき筈を、いかにしけん束のまゝ見えずとて底をかへして振へども甲斐なし、怪しきは落散し紙切れにいつ認めしか受取一通。 (引出しの分も拜借致し候 石之助)
さては放蕩かと人々顏を見合せてお峰が詮議は無かりき、孝の餘徳は我れ知らず石之助の罪に成りしか、いや/\知りて序に冠りし罪かも知れず、さらば石之助はお峰が守り本尊なるべし、後の事しりたや。 (明治二十七年十二月「文學界」 明治二十九年二月「太陽」再 掲載)
底本:「日本現代文學全集 10 樋口一葉集」講談社 1962(昭和37)年11月19日第1刷発行 1969(昭和44)年10月1日第5刷発行 ※底本では送りがな、漢字の使い方に不統一がありますが、底本通りにしました。 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
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